「住みたい」チャンプルー文化発祥のコザ


かつて沖縄市は「コザ市」というカタカナ名の街だった。30年以上たった現在でも、地元の人の多くはこの街のことを愛着をこめて「コザ」と呼ぶ。米軍の嘉手納基地の「門前町」。戦後からベトナム戦争まで繁栄を極めたこの街は、中部地区を代表する本島第2の都市にもかかわらず、かなりうらぶれている。市内を走る通りの多くはシャッターを閉ざしたままの店舗が続き、日中、街を歩く人の数は「都市」というにはあまりにもまばらだ。それでもである。私と同様に、ほかの地でなく「コザに住みたい」と集まってくる移住者はかなり多い。オキナワンロック、民謡、沖縄芝居などの分野で数多くの沖縄芸能の立役者たちを排出し、米軍が持ち込んだ「アメリカ」など、さまざまな人と文化を受け入れ、許容し、それらを自分たちのライフスタイルに持ち込んだ「チャンプルー文化発祥の地」という土地柄が、そうした移住者を惹きつけているのだ。

街並み

だが、実際のところは、コザで生活していくのはなかなかキシイ。なにしろ、失業率は県内11市のなかでもダントツ11・7%。飲食店や商店などの自営業が多く、それですら前述したように、なかなか活気を帯びるというわけにはいっていない。そんなコザのなかで唯一、成功しているといっていいのが、軍人相手の商売だ。沖縄市最大の繁華街の中心地・胡屋十字路を通る通称「ゲート通り」は、この街で唯一、空き店舗のない「奇跡の通り」といわれている。

この通りには、横文字の看板に鮮やかなネオンサインをあげた軍人相手のロックを聞かせるライブハウスやバー、土産物屋などが並んでいる。週末の夜は若い米兵たちで盛り上がり、街の顔が一変する。こうした軍人相手の商売を当て込んで、世界約30カ国の人がこの地に暮らしているのも、コザがいまだ「チャンプルーな街」といわれ、ほかの街にはない魅力になっているのだ。この街に惹かれて住み着いた移住者たちの仕事はまちまち。私のまわりを見渡しただけでも、こんな感じだ。ショップの店員をしている知人の月収は10万円前後。比較的収入が高いのは、通販やパソコンメーカーのコールセンター勤務で月収15~20万(時給なら800円~1000円)。

スキルがあればパソコンのシステム開発などで、20~25万円ぐらい稼げている人もいる。特殊なのは陶芸家修業中の知人。彼の場合、食費とアパート代支給で月5~6万円。それでもなんとか暮らしている。また、基地の門前町ならではの仕事としては外人向けバーの女性店員なんていうのもある。もちろん仕事は夜間のみ。時給は800円程度だが、アメリカ式でチップの収入がそれなりになるらしい。これぐらいの収入でもやっていけるのは、やはり賃貸住居が安いこともあるだろう。胡屋十字路近くの物件でも、2DKでアパートなら3万5000円前後、マンションでも5万円といったところだ。

物件によっては、駐車場も1台なら無料で使えるところもある。ちなみに以前、私が住んでいたのは、中央パークアベニュー裏側の1DKのアパートで家賃3万円、駐車場5000円。築20年以上はたつかと思うほど古い物件だったが、もともと外人向けアパートだったので、部屋、ダイニングキッチンともに8畳程度あり、天井も高く、バスルームもゆったりとしたアメリカンスタイルだった。こういう物件が見つけやすいのもコザならではだろう。街の活性化には市も積極的に努力していて、「市街地活性化」と「移住者支援プログラム」を一体化させた「ドリームシヨツプーグランプリ」なるものを実施している。商売の企画構造を全国から募集し、入選者には店舗を展開する支援をするというもの。

実は私もこれに入賞し、4年前にコザに移り住んでカフェをオープンさせた経験がある。事情によりその店はもう閉めてしまったが、実際のところ、この企画で出店した店で定着しているところはあまり多くはない。コザを「経済」の側面から見ると、どうにも明るい話をしにくいが、けっしてこの街は沈没しているわけじゃない。それどころか、衰退や低迷にもかかわらず、コザンチュ(コザの人)たちは実にエネルギッシュに生きている。戦後、各地から集まってきた人たちの開市から始まったコザの街は、米軍統治、ベトナム戦争による繁栄と衰退と、もろに米軍の影響の波を受けた。だが、そのなかでも民謡やエイサーといった沖縄の伝統を暮らしから捨て去ることなく、コザ独自の街の匂いをつくりあげてきた。

そこがコザンチュたちの芯の強さでもある。あらゆるものをチャンプルーして独自の文化を生み出したこの街は、ある意味、移住者にとっては暮らしやすい街なのかもしれない。「戦後、アメリカ文化の影響を真っ向から受けながらも呑み込まれることなく、沖縄文化を繰り返し融合させては止揚し、いわゆるチャンプルー文化を見事に土着化させてしまったのがコザである。その意味で、もしコザンチユ(コザの人)という文化熱の高い集団が沖縄に存在しなかったら、沖縄という土地のありようは違った形態になっていたかもしれないし、事実、コザを語ることなくして沖縄の音楽や芸能は語れないほどまでに、この町はすっかり沖縄のローカル文化を代表する土地になっている。

なので、年々東京ナイスしていく県都・那覇とは対極の位置にいるのがコザといういい方もできるのだが、このことは結果的に、コザを那覇に対する万年野党的な立場に追い込む要因になった。いってみれば、こうしたこともコザという街を大きく特徴づけているのだが、このあたりは、東京VS大阪という構図に似ていなくもない。すなわち、つねに先進性を追い求めるこれだけ文化熱の高い集団がいなかったら……。そう思わせるコザンチユの「ローカル性」那覇が東京とすれば、ロ-カル性にこだわるコザは大阪。そのせいか、コザは街の雰囲気もどこか泥臭く、人間のノリも大阪人に似て、すこぶる陽性的でかつ剽軽といっていい。一例をあげれば、お笑い芸能である。

先頃亡くなった沖縄大衆芸能の大御所・照屋林助氏を筆頭に、玉城満率いる笑築過激団や藤木勇人など、沖縄のお笑い文化の旗手となり、かつその精神を受け継ぎ、いまなおリードし続けているのは、誰あろうコザの人々なのである。確かに街は沖縄第2の都市とは思えないほど寂れてはいる。が、見かけはどうあれ、ゴザの人々の意識には絶えず「コザンチユのやることがいちばん面白い」というこれまでの実績に裏打ちされた自負心があるのだ。だからなのだろう。

沖縄の自然

野党的な立場に甘んじてはいても、コザの人たちはそのことを意に介さないふうで、それどころか、妙に都会ずれしていく那覇を冷ややかにみているようなフシも伺えたりするし、もっといえば、好んでいまの位置を楽しんでいる雰囲気さえ見受けられるのだ。その点、コザは零落状態の都市にありがちな上昇指向というものを、持ち前の文化の力で乗り越えてしまった観さえある。こうした街の空気がとりもなおさず、コザの最大の魅力といえるのだが、ともあれ、年々「らしさ」を失っていくこの島において、最後まで沖縄というアイデンティティにこだわり続けることを予見させる街の筆頭格といえば、やはリコザ以外に見あたらない気がする。


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